わたしは感じたものが、なんでもかんでも色に見えるという「共感覚」をもっている。
実はこの見えている色は、全体を見ることも、部分的に寄って拡大して見ることも、一瞬でできる。
今日は、あまり理解してもらえない、そんな感覚の話。
「拡大」して見る
幼いころから、人間を見ると赤色や青色などの色で見えていた。
それは他人もそういう風に見えているものだと思っていたが、周囲と話(感覚)が噛み合わないことが続き、自分の見え方がおかしいのだと自覚した。
わたしはいつも、色を追いかけていた。
わたしには「透明な空気」という感覚がなかった。
人間から聞こえる音楽は、空気中でカラフルな音階になったりするし、
その吐く息だって、色付きで見えた。
空気中に霧散されたそれらの色が、どうやって混ざり合って、重なり合って、光沢を放つのかを、眺めるのが好きだった。
あそこで絶妙な色同士が混ざり合うぞ! となれば、鳥の目のようになって、そこを「拡大」して見た。
わたしの目は一瞬で、色にピントを合わせることができたのだ。
まるで望遠鏡を覗き込んで星を見るのと同じだ。
「拡大」するとそこではより輪郭がくっきりとして、鮮明な色が見えた。
たとえば、ピンク色を見たとき、全体としてはピンク色をしているのだが、これを拡大することで、赤色や白色、青色や紫色や水色も見えるようになる。
絵の具でいえば、どの色を混ぜたらこのピンク色になる、という構成がわかるのだ。
物心ついたときからこんな遊びをしていたので、当然誰しもが皆「拡大」して見ることができると思っていた。
でも、なんだかそうじゃないらしい。普通は「拡大」なんてできないそうだ。
いつもネイルをお願いしているネイリストさんからは「その能力があれば色混ぜがラクになるから欲しい!」と言われる。
そうか、これは便利なのか。しかしどうしてわたしは、「拡大」して見ることができるのだろう。
病気の見え方
話が前後するが、前回記事の「病気の絵」について。
深層アートはその人の全体を描いた絵なのに対して、
ワビタンの病気に伴う「質感」の変化を描いた絵、実はこれが「拡大」して見たものを描いたものなのである。
(ちょうど↑サムネイルの絵が病気中のワビタンの絵)
ただし、ワビタンの場合は血液が関係する病気だったので、全身に巡る血液の性質上なのか、身体全体的にこのような質感で見えていた。
たとえば身体のある部位だけが病気になっている場合は、その部位を「拡大」して見ることになる。
病気の初期状態はその部位だけ色や質感が違うため、異変が起こっているように見えるというわけだ。
質感とはなにか
さて、そもそも「質感」というのはなんなのか。
わたしの場合の見え方はこちらの記事にまとめている。
ここでは結論として、質感による性質(さらさら、とろとろなど)は個性であると言った。
うん、個性なんだけどさ。ちょいと視点を変えて考えてみる。
質感というのは「手触り」であるから、物体の表面上に触れた感触であるとも言える。
つまり質感の絵は、あくまでも表面的なものであって、深層的なものではない。
その人の奥深くまで見るなら、少し離れて、遠くから見たほうが見えやすい。
なんなら目の前にいないほうが(「瞬間記憶」に焼き付けてから改めて見たほうが)わかりやすい。
きっと病気に関しては質感だけでなく、そのときの匂いや音も重要な要素であり、その情報によって質感に影響を与えるのかもしれない。
が、それは身体という「器」の作用である。
もしメンタル的な病気であれば、それは心の「入れ物」の病気である。
器や入れ物のなかに入っている、あるいは閉じ込めている「そのもの」、換言すると「深層」「深部」は、病気にはならない(はず)。
だってそれは、物質的ではないから。スピリチュアルな言い方は好きではないが「魂」と呼ばれる、目に見えないものだ。
魂も霊も風邪ひかない。
つまり質感の絵は、あくまでも表面上の特徴を描いたものである。
表面と深層
冒頭の話に戻るが、わたしが子供のころから他愛のない「拡大遊び」をして色を追いかけて、
綺麗に色が弾け飛んだり、重なって覆い隠されたり、逆に下の色を透かして絶妙な色になったりするのに感動したので
その世界観を皆にも見てほしい、こんなに美しいカラフルな世界があるんだよ、と伝えたい、というのがわたしの活動の原点である。
わたしの目では、深層から表面に至るまで、即座にピントを合わせて見ることができるのだが、これを一枚の絵にするとなるととてもとても難しいのだ。
絵で表現する場合は、奥にある色を先に描き、ぼかし、類似色で影をつけて、それから手前にある色を描き、ハイライトの光をつける。
といった描き順がセオリーなのだが、わたしがしたいのはこれではないのだ。
質感を表現することができる特殊な絵の具があるのだが、これを使うと下の色が透けない。
パンケーキの上のクリームみたいに、「乗っかっているだけ」という見た目になるのだ。
でも、わたしから見えているものは、質感を伴った色同士が「透ける」「重なる」「ぶつかり合う」という、絵画的には相反している性質で、どう描いたらいいものかと悩む。
元美術教師のコンサルタント・ワビタンとも、ずっとこの議題で会議を行っているほどに悩んでいる(笑)
ビジュアル的に示した理想がこれである。
一番下は、「深層アート・シャドウ」
深層心理のなかに誰しもが抱えている、コンプレックスやトラウマ、シャドウなどを描いた絵。
(深層アート・シャドウについてはまた別の機会に詳しく記す)
中層は、「深層アート・ポジティブ」
従来の深層アートで、その人の夢や理想、目的、意識、感情、過去~未来などを描いた絵。
上層が、質感を描いた絵。
つまり一部分を「拡大」して見た絵である。
下:深部→→→上:表面
という具合だ。
ヒントはあった
ちなみに「深音アート」はとてもよかった。
以前の記事でも紹介したが
奥行きを表現するぼかしや影、光を表現するハイライト、音が混ざり合ったりぶつかり合ったりする複雑な色のコントラスト。
人間から奏でられる音楽、または既存の音楽を聞いて見えた色の景色、そのままを表現できる。
ただしこの絵は平滑的なのだ。アクリル絵の具だから、油絵のような凹凸もない。
だから「深音アート」に質感を乗せるほうがいいのかもしれない。
時間がかかるけど油絵で描けばいいのかな?
すべてを一枚に収めることが果たしてできるのだろうか。
試行錯誤は続く、夢の途中。
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