わたしは物心ついた頃から「音が色や光」に見え、最近ではそれを描く画家をしています。
今回は、「わたしが見える音」についてまとめてみます。
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚など、五感で感じるものがごちゃ混ぜになって、色や形に変換されて見えることを「共感覚(シナスタジア)」といいます。
これら五感の一部が変換される人もいれば、わたしのように五感全てが変換される人もいます。
「音が色に見える」人は共感覚者のなかでも多いそうです。
わたしと音楽
子供の頃のわたしは、しゃべることが早く発達し、意味不明な歌を歌い、ダンスを踊り、絵を描いていたらしいです。
大人のわたしはまったく覚えていませんが、わたしの周囲の音はキラキラと光って見えていたことは記憶に残っています。
それは、おもちゃのピアノの鍵盤が虹色に見えていて、鍵盤を押すとその色の音が飛んでいくと思っていました。
小学生の頃、ピアノ教室へ通いはじめます。
ピアノの鍵盤が白と黒だと知ったのは、この時です(笑)
ピアノの先生の話と、わたしが見えている鍵盤の色が違うな???と悟りました。
そしてピアノ譜の音符のことを「オタマジャクシ」と言っていましたが、わたしには今でもカラフルな虹色に見えます。
現在はピアノに関わることをやめてしまいましたが、早くからこの能力のことを知ってうまく使いこなす(付き合っていく)ことができていれば、もう少しかっこいい曲が弾けるようになったかも?と思います。
もちろん今からでも音楽はできなくはない、ですが。
「音楽は数学」なところもあるので、計算が苦手なわたしとどこで折り合いをつけるのかを見つけないと、積極的に関われないな~と思っています(笑)
そんな話はさて置き、わたしは今、「わたしが見える色を描く」という仕事をしています。
主には深層心理を描く「深層アート」、クラシック音楽を聴いて見えた色を描く「油絵」をやっています。
絵ではクラシック音楽を題材にしていますが、べつに音楽じゃなくても色は見えます。
普段の生活であれば、会話、鳥や動物や虫の鳴き声、奇声や感嘆の音、工事や生活の雑音、すべてです。
つまり、あらゆる「音」がすべて色に見えます。
子供の頃からそれがわたしの普通で、他の人の当たり前ではないということを知ったのは、最近のことです。
わたしの見えているものは、たしかに美しく鮮やかで、光っていて、ずっと見ていたくなります。綺麗な音は。
それまでは当たり前すぎて、音を具現化しようなんて思っていませんでした。
わたしが見えているものは、いつも素通りする景色と変わらなかったのです。
そこで、わたしが見えている「音と色の関係」について考察することにしました。
わたしの「色聴」の法則性
わたしが見える音は、「調性」で異なるようです。
調性とは音楽の用語なのですが、例えばハ長調(ドレミファソラシド)の音楽は赤色に見えます。
ハ長調のドミソ和音(Cメジャー)、ドミソド和音(Cメジャー7)なども、主の色は赤色に見えます。
音楽に例えると、「ドレミのうた」や「かえるのうた」「きらきら星」など。
図で表すとこのようなかたちです。
ハ長調(Cメジャー)…赤色
ニ長調(Dメジャー)…金色~山吹色
ホ長調(Eメジャー)…オレンジ色
ヘ長調(Fメジャー)…黄緑色
ト長調(Gメジャー)…水色
イ長調(Aメジャー)…藍色
ロ長調(Bメジャー)…クリーム色~レモン色
変ニ長調(D♭メジャー)…黄土色~黄色
変ホ長調(E♭メジャー)…緑色
変イ長調(A♭メジャー)…ターコイズ色~青色
変ロ長調(B♭メジャー)…発光色~レモン色
ハ短調(Cマイナー)…赤褐色
ニ短調(Dマイナー)…えんじ色~茶色
ホ短調(Eマイナー)…プラム色~紫色
ヘ短調(Fマイナー)…青色~ラベンダー色
ト短調(Gマイナー)…青色~緑色
イ短調(Aマイナー)…緑色
ロ短調(Bマイナー)…青色~灰色
嬰ハ短調(C#マイナー)…紫色~藍色
嬰ヘ短調(F#マイナー)…オリーブ色~灰色
嬰ト短調(G#マイナー)…藍色~灰色
変ロ短調(B♭マイナー)…灰色~白色
この色の見え方は、あくまでもわたしの場合です。
共感覚者の色の見え方は個々人で差異があると言われています。この件については後述します。
特徴①同じ曲は何度聞いても同じ色
わたしの「色聴」の特徴として、ある曲を聴いて見えた色は、あとでまた聴いても同じ色が見えます。
たとえばこちらは「ドヴォルザークの新世界 第四楽章」を聴いて描いた絵です。この曲はホ短調です。
この曲を聴くと、描いた絵と同じような色や景色が見えます。
ちなみに絵の場所は「先鋭的なニューヨークかな?」と思って描きました。
あとでから「ドヴォルザーク」や「新世界」の作曲の背景について調べたら、ニューヨークだったことがわかり、びっくりしましたー。
特徴②調が変わると色が変わる
バッハ作曲の「管弦楽組曲第3番 ニ長調(BWV1068)の第2楽章」、通称「G線上のアリア」を聴いてください。
この曲は、もともとはニ長調で、のちに別の人がハ長調に編曲し「G線上のアリア」になりました。
これらを聴くと、前者はニ長調なので神が降臨するかのような金色の光、やわらかい山吹色の背景などが見えます。
後者はどっしりとして、貫禄のある堂々とした赤色が見えます。
つまり、同じ曲であっても調性によって色の見え方(音の微妙な聴こえ方)が違うということがわかります。(わたしだけかもしれないけど)
そういえばカラオケでキーを下げて歌うの、しっくりこないんですよね。雰囲気もまるで違うし、色も気持ち悪い。
それならオクターブまるっと下げればいいかというと、そうでもない。転調よりはいいけれど、
(ボーカロイドの曲のキーが高いからといって1オクターブ下げて歌うわたしですが)色は微妙です。原曲がやっぱり鮮やか!
特徴③風景が見える
ある音楽家の曲を聴くと、調性などまったく関係なく風景が見えてくることがあります。
わたしが把握しているなかでは、ドビュッシーとベートーヴェンです。
ドビュッシーは印象派といわれるだけあって、理論やスケールよりも見て感じたそのままを奏でる作曲家です。
そのため曲の中にシャープやフラットやナチュラルが多く出てくるし、いつの間にか自然に転調したりします。
調性はある意味関係ない、というかんじ。
そのほうがわたしは風景を見やすいのかもしれません。
「亜麻色の髪の乙女」昔、練習して弾いていたなあ(今は弾けません)、
そのときは「なぜフラットが6つもあんの?」「わざわざ白い鍵盤にフラットつけないで!」と思ってましたが…
たぶんそれが、この曲の風景を際立たせるために必要な調性だったのかも。
この曲は黒鍵ばかりなので、転調してやさしくした楽譜もあるようですが…きっと雰囲気が違うんだろうなと思います。
ベートーヴェンは、交響曲もピアノソナタもヴァイオリン協奏曲も、すべて風景が見えます。
こちらわたしが一番好きな、ベートーヴェンのテンペスト。練習したけど弾けていませんw
これ弾いているとき、色と風景で溢れて零れて息ができなくなります。気が付くと6時間弾き続けている…!ということも(危険)。
ベートーヴェンは教会やお城に仕えた音楽家ではなく、当時は珍しいフリーランスだったらしいです。
作曲センスも自由で、技術や音色の追求っぷりを感じます。そんなわけで風景が見えるのかも。
ほかにも風景が見える音楽家はいるかもしれません。
たぶん、坂本龍一さんなんかは、見えそう。今後また調べてみようと思います。
スクリャービンの色聴
ところで、音楽家のなかでもロシアのスクリャービンは色聴で有名です。
彼の見える色も調整で見えているようですが、わたしの見えている色と少し違います。
スクリャービンもわたしと同じくC=赤、D=黄色、ですがそれ以外はちょっと違うかな?
共感覚で見える色はそれぞれ違うということでしょう。
音が色に見えるを調べた結果
「音が色に見える」「色聴」を調べたら、古松隆さんの著書「調性で読み解くクラシック」を見つけました。(こちらのサイト)
著書も気になるのですが、このサイトの中で
「日本に西洋の調性(長調・短調などの概念)が入ってきたのは明治時代で、それまでの日本のわらべうたや民謡はお祭りの楽しい歌でも短調だった。雅楽は6つの調で春夏秋冬や東西南北を表した。」
という話が面白いです。
日本人には短調のほうが染みついているというのは、流行歌・売れる曲が物悲しい曲が多いのと一致します。
たとえばボーカロイドも短調が多いですよね。
若者のKanariaさん人気はまちがいない。
(うん、浮遊感のあるオリーブグリーンと黒に見えます。)
なんか自然と口ずさんじゃう系、中毒性リピート系は短調ですよね。
ちなみにわたしが一番好きなボーカロイド曲は「炉心融解」なのですが、たぶん嬰ハ短調(C#マイナー)だと思います、違ったらどこぞの賢者、教えてください。
やっぱり短調、しかも黒鍵からはじまるやつ、浮遊感ありますねー。
調性がきまりきってない曲は風景までも見えてしまいます。
今後も音楽を聴いて描いているうちに考察できることが増えていくと思います。
またブログでは、ひとつひとつの音楽と色について記事を記そうと考えていますのでお楽しみに(/・ω・)/