これは50代男性自営業の人をモデルに描いた、深層アート(左:ポジティブ、右:シャドウの2枚)です。
同じ人物の顕在意識(左)、潜在意識(右)を棲み分けて描いています。
この絵の中には、一般的にオーラ(アストラル)と呼ばれるもの、守護霊(正確には指導霊)、思念などが描かれています。
わたしはそれらが色や形や光で感じる共感覚をもち、ASD,ADHDの特性があります。
ポジティブ(左)の特徴
ポジティブ深層アートとは、その人のポジティブな側面、社会的・表面的な顕在意識を絵にしたものです。
(実際はわたしには、ポジティブもシャドウも色がレイヤーのように重なって見えているのですが、それを整理して棲み分けて描いています)
まず全体的に色がディープカラートーンで、夕暮れ時を思わせる風景です。
特に多く現れている色(ベース色)は、紫色です。紫色は哲学的でミステリアスな印象です。
次に特徴的なことは、肉体(中央にある人型)が小さめで、肉体とオーラの境界が曖昧で分類するのが困難です。
したがって背景であるアストラルの比率が大きくなっています。
このときご本人は人生のターニングポイントにあり、きっと肉体的にも精神的にも疲れていたのでしょう。
そのため彼を護ろうとする霊的な力(というと似非スピリチュアル的になってしまいわたしの意図とは異なるのですが、便宜上、この言葉を使います)が強く働いていたのだと推察します。
背景(アストラル・霊的な力)は、自分の意思や自己には依らず無自覚です。
ただしエネルギーは互いに影響し合っています。
この人の場合は、丘の上の神社のようなもの、煙のような黄色い狐型のものが特徴的です。
これらを真に理解し、「無自覚なエネルギーと共生」することによって、自分が「自己だと思っている自我や意思」を認知でき、ラクに生きることができます。
向かって左側の肩からマゼンタ色のオーラが見えますが、ここから大きな渦巻きが発生し、背景の神社の方へと導くかのようです。
この神社はおそらく彼にとっての霊的な存在であり、換言すれば先祖(DNA的か、霊的サポーター的かは問わず)、あるいは未知の無自覚なエネルギーです。
なぜなら丘、鳥居、奥の三本杉は、ここだけ色が鮮やか。この絵のなかで、唯一ビビットトーン寄りです。つまり、エネルギーの質が異なります。
また、渦巻きは落ち着いたディープカラーのグラデーションで、白い線の部分は光の軌道です。
未知なる存在は、無理やり引っ張っている・連れて行こうとしているのではなく、右腕を引いている、導いている、といった表現が適切でしょう。
さてタイトルの『右腕を引かれる者』ですが、「引かれる」という言葉は受動です。
引いているのは霊的な存在で、あくまでもご本人はそれを受動する立場です。
自らこれをやろうとか、こういう考えだ!と主張するものではありません。
それにはシャドウの分析も深く関わってきます↓
シャドウ(右)の特徴
全体的に黒、グレイなどの色が多いです。
しかしこれはシャドウを描くときには珍しくありません。
シャドウはわたしたちの心の奥底にある、蓋をして閉じ込めておきたい思いや、自分の嫌な部分であることが多いからです。
まず肉体は暗めのトーンの多色・多模様で、まるでこの人の内側がぐちゃぐちゃで、とても痛そうです。
茶色い綱で自らを縛り、黒い眼帯で頭部を覆っています。これは固定観念や概念に縛られ、見たくない・考えたくないのかもしれません。
オーラ層(エーテル体)は、紫・青・黒の粘液質のうにょうにょ。
内側から紫色のエネルギー(この人の本来の色)を放出したいけれども、何かに阻まれてうまく出せないから溜まる…といった悪循環に陥っています。
では何に阻まれているのでしょう。
背景(アストラル体)に答えがありそうです。
向かって左側部分は過去を表します(現世での過去なのか、過去世なのかは問わず)。
そこには立派で鮮やかな鳥居があり、その奥には杉?の木があります。お社は見えません。
鳥居の手前には狐の形をした石像のようなものもあります。
さらにその手前には灰色のローブを纏った三人衆が、首に縄をかけて歩いています。
この縄は肉体の手前にも渡っているので、ご本人も同じように縄がかけられていることと思います。
しかしこの縄をよく見ると、首元にゆるく輪をかけられただけで容易に外すことはできそう。
しかし彼らからは嫌な感じがしません。鳥居の奥にあるものを護っているかのような気配すらあります。
鳥居の奥にお社はありません。つまり鳥居はこちら(物質)とあちら(精神)の境界で、目に見えないエネルギー自体が神聖なのかもしれません。
つまり偶像崇拝ではない本来の意味での信仰を、彼らはだいじに考えているようです。
その証拠に、向かって右側の背景上部にはライトグレーの雲のようなもの、それから黄色い稲妻のようなものも二カ所に見えます。
稲妻のように先鋭の形は神のエネルギーの象徴です。
つまりご本人は、霊的な存在からエネルギーを与えられているのです。
けれども先述した通り、霊的な影響というのは多くの人が無自覚です。
この人もこの時は、自分のことでいっぱいだし、そもそも肉体が傷ついていて痛いので自我優先です。
というか、通常時だとしてもほとんどの人は「自我」が全てだと思っていて、それが普通です。
だってわたしたちは、物質の世界に生きていますから……
もちろんそれで物質界で困ることはないのですが、わたしが深層アートを通して言いたいことは、「自我だけが全てではない」ということです。
わかりやすくいうと、自分一人で生きているわけじゃない、ということです。
この絵のように、自分の知らぬところで影響し合っているエネルギーがあります。
この関係性は「持ちつ持たれつ」なのです。
だから自分がツライと思っている時ほど助けが入るし、幸福な時ほど感謝を分かち合いたいと思っています。
もしツライ時に助けが入ったことないよ!と思う人は……このしくみを理解していないだけです。
独り善がりなだけです。
その時だけ、自分だけの損得でしか考えていないだけです。
もし自分の身近にそんな人がいたら、あなたはその人と一緒にいることができますか?
また自分のことばっかり!あ~やだやだ!って思いませんか?
こういうのはその人間の性格、ということになると思いますが。性格って目に見えないものですよね?
感情や気持ちは目に見えないエネルギーです。
物質だろうと精神だろうと、影響のやり取りは常に行われています。
固定観念や概念に囚われず、エネルギーを受け取ったら流す、流したら受け取るといったやり取りができるのが理想です。
もちろんみんな普通はできません、なんてったって自我が邪魔しますから。
だから何年も、何百年も、修行しているというわけで。
ポジティブ&シャドウ:共通点
ポジティブ&シャドウの2枚の深層アートを描くと面白い共通点があります。
ベースの色は紫色で共通しています。
けれども印象が異なるというのが面白いです。
また、背景の象徴物である、鳥居、狐、杉の木は共通しています。
このように同じモチーフが登場するのは、それが特別メッセージ性が強いことを表しています。
特に鳥居は「信仰・精神性・境界の通過」というテーマで、これが中心になりそうです。
ポジティブ&シャドウ:違い
では逆に、二つの絵の違いはなんでしょうか?
ぱっと見、色が違います。
シャドウのほうが暗くて怖い印象があります。(深層心理ってそういうもの)
わたしが気になったのは、ポジティブでもシャドウでも共通した象徴物が描かれているのに、シャドウのほうがより詳しい情報を落としている点です。
人間のほの暗い部分というのは多くの情報を秘めています。
欲求も、因果も、ルーツも、恐れや恐怖も。
普段の人間関係のなかでも申し訳ないけど、シャドウが見えてしまったとき「ああそういう人か」と納得することが多いです。
(いい・悪いではなく、観察対象として)
また、空間的にもポジティブは開放的で、シャドウは閉塞的な感じがします。
言い換えると、顕在意識は解放的で、潜在意識は閉塞的。
つまり、鳥居が遠くにある時には開放的ですが、鳥居を目の前にすると暗く重い。
鳥居の近くは見たくないし、遠巻きにして逃げたいのです。
ポジティブ&シャドウから学ぶ
両方の絵を描くことで、自分が何者なのか、なにをしたいのか、どんな気質があるかがわかります。
わかったうえで、一番にお伝えしておきたいことが、
「シャドウで無意識に感じたことが、ポジティブのほうへ反映される」ということです。
わたしたちは社会的集団で生活するなかで、自分の嫌なところや見たくないところ(シャドウやコンプレックス)を無意識に心の奥へ仕舞いこんでいます。
これは誰しも普通の反応です。
そのためなにか目標を設定したり、達成しようとするときに、無意識下のそれが邪魔をしたりストップをかけてきたりします。
シャドウやコンプレックスをなくしたりすることはできません。
年齢とともに人生経験を積みながら、なんとなく和解していき、「まあそんな自分もアリよね」となれれば御の字です。
でも和解できない(受け入れられない・認めたくない)思いが強くなってしまうと、
「異常な恐怖」や、「執着・依存」「逃避」などに走ってしまう場合もあります。
しかしそれは防御反応でもあります。
シャドウが悪いわけではなく、自分を守るための手段として奥底に閉じ込めるのです。
そうしないと自分を保つことができないからです。
しかしわたしは思います。
「あ、自分てこういうのがとても苦手だし、嫌いだし、見たくないんだな」って認知したいって。
皆が皆そう思うとは思いませんが、少なくともわたしは正確に自分を知りたい。
わたしという者がどういう構造で、どんなエネルギーにお世話になっていて、嫌っているのか知りたい。
それで自分の感情が傷つくのは、別問題かな、と分けて考えています。
また事実を知った時に「そうだよな、自分てそういうとこあるよな」って納得できる。
イコール、自分をある程度認知できています。
もし同じようなお考えの人であれば、このシャドウの情報は有効な「自己認知」を与えてくれると思います!
まとめ
この二作は、同じ人物の中で「導かれる未来」と「再建の課題」が表裏一体であることを示しています。
ポジティブ側の『右腕を引かれる者』では、外に向かうエネルギーの強さや、未来に進むための推進力が鮮やかな色彩と大きな渦によって描かれています。
特に黄色やオレンジの創造性・進歩性は、彼がこれからの人生で新しい可能性に手を伸ばし、未知の領域へと進んでいく姿を象徴しているように見えます。
赤い鳥居はその門出を祝福するように立っており、信仰や信念が彼を後押ししていることを示唆します。
一方で、シャドウ側の『信仰の再建者』は、暗い背景や象徴物から、人生の中で培ってきた価値観や信念が揺らぎ、再構築を迫られている様子が浮かび上がります。
黒や灰色といった「不調」の色合いは、彼の中で抱える葛藤や制約を映し出しています。
しかしそこに同時に見える紫や青のラインは、混乱や停滞の只中にあってもなお、哲学的に物事を捉え直し、冷静に再生へ向かおうとする強い精神性を表しています。
縄のモチーフはしがらみの象徴であると同時に、「結び直す」「編み直す」という再建の意味合いも持っており、単なる束縛ではなく未来の再生のための要素とも解釈できます。
両者を合わせて眺めると、この人物の人生における大きなテーマは「信仰や信念の更新」と「境界を越える挑戦」にあることが見えてきます。
50代という年代は、人生の後半をどう生きるか、これまで築いてきたものをどう組み替えるかという問いを突きつけられる時期でもあります。
その問いに対して、彼は一方では未来に向かって強く引かれ、もう一方では過去の信仰や価値観を組み直す必要性を突き付けられています。
ポジティブとシャドウは矛盾するのではなく、むしろ互いに補い合いながら「次のステージへ進むための準備」を描き出しているのです。
したがって、この二つの深層アートは「光と影の二重奏」として、その人物が直面している人生の核心を示しています。
光の部分では「創造と推進力」が、影の部分では「信仰の揺らぎと再建」が表現され、両者が揃うことでようやく全体像が完成します。
彼の生き方は、過去のしがらみを再構築しながらも、新しい未来への門をくぐり抜けていく旅路そのものと言えるでしょう。
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