わたしは長年「自然と共に生きる暮らし」をしているが、それによってわかったこと、実践して多くのメリットがある。
その中のひとつ「うまくいく時といかない時の決定的な違い」について。
こういう時…
物事がぽんぽんぽんと進むことがある。
しかも、思いもよらないことや、どうでもいいことに限って。
本当に頑張っている、熱量が高いプロジェクトは「え?評価も期待値もこれだけ?」となることが多いのに。
この違いってなんだろう?
考えたことはある?
いっぱいか、ひとりか
結論から言うと、わたしは「うまくいく時といかない時」の決定的な違いが、「いっぱいかひとりか」の違いだと気付いた。
当然だが、ひとりよりも大勢のほうが馬力がある。
後者は、ひとりで頑張っているから評価値も期待値も低い。
頑張ってやったもののガックシな結果…
実は私は何度もそんな結果で終わることが多くて。
何がいけないんだ!毎日働いて!頑張っているのに!と思っていた。
植物から教えてもらった
でも、農業(家庭菜園)を始めた頃から考え方を改めた。
自分よりも小さなもの。植物や虫や微生物など。
そんな世界を共有すると、「ひとり」という概念がなくなった。
変わったのではなく、なくなった。
私はひとりで生きているわけではないし
むしろ大勢の中のちっぽけな私!?とまで思うに至った。
そして植物や虫と会話ができるようになった。
言葉じゃなくて、なんとなく、雰囲気で。
「お水ほしいよー」とか「獲物くれやー(カマキリの声)」とか。
なんだか周囲に優しくなれた気もする。
お水をあげたり、カマキリのために虫を駆除しすぎないように。
なんとなく世界は、見えないものや言葉のないもので作られていると感じた。
そうしたものを「感じる」ためには、私自身に余力、余裕、時間、自由がないとキャッチできない。
最初からキチキチに頑張るなんて、無茶だったのかも。と思い直した。
世界が応援してくれる
するとどうでしょう…!
それからは頑張らなくても、よいことが舞い込んでくるようになった。
頑張ることをやめて、周囲の見えないものに感謝と共生の心を持っただけ!
また、目に見えないものや小さいものが助けてくれるようになった。
時には危険を遠ざける。
よい人やものを運ぶ。
私は祭壇を作って、季節とサイクルに感謝する。
そして今日もお供えのハーブのパンを焼きます。
自然と共に生きる暮らし
わたしひとりで生きているのではなく、多くの命あるものに生かされていること。
可視・不可視に関わらず、周囲のなにものかと共に生かされていること。
周囲の変化と共に、柔軟に生きる暮らし方は、イギリスの緑の魔女たちの教えでもある。
もしあなたがそんな暮らしをしたいと思うなら、まずは植物を育ててみるのがいいだろう。
育てやすい植物は意外とたくさんある。わたしのおすすめはこちら。
- 観葉植物(サンセベリア)
- 多肉植物(セダム)
- ハーブ(ローズマリー)
- 食虫植物(ウツボカズラ・ネペンネス)
山形県では雪や霜があり室内でも氷点下になるが、上記植物はうちでも元気いっぱい。
小さく始めてなんとなく植物の声が聞こえる(感じる)ようになったら、【うまくいく】感じがわかってくる。
ぜひ実践してみて。
他の生き物ではダメ?
植物以外の動物や魚、虫などはダメか?という質問を頂いた。
あなたが動物や魚や虫の言語がわからず、何を欲しているか「感じとらなければならない」点において、それはダメではない。
しかし、動物と植物の決定的な違いは「動くか、動けないか」だ。
当然だが植物は動けない。
そのため身を守るために毒を精製したり、子孫を残すために甘い蜜で誘引する能力に長けた。
ある季節になれば強い芳香を出す植物もいるし、色が変わるものもいる。
そのため、人間の「感じる能力」を敏感にさせたい時は植物を身近に置くほうが理に適っている。
ちょっとした変化に気付きやすいからだ。
こうした言語外言語で感じる、【他の生き物と共に生きている感】は、人間は忘れがちになっている。
自然と共に生きることを感じるサバト
魔女の習慣のなかに「サバト」がある。
サバトとは、年8回ある季節のお祭りで、旬の食べ物や四季のサイクルに感謝をする儀式だ。
そのとき、その一瞬を感じて生きるというのは、日本の「一期一会」に通ずるものがある。
わたしたちは他の生き物と共に感謝の念をもって生きることで自然とうまくいく。
うまくいかない時、本当に無理や無茶はなかったか?と振り返ってみてほしい。
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