『共感覚の魔女:カラフルな万華鏡を生きる』をお手に取ってくださり、ありがとうございます。
ここでは、著者:蜜猫自ら、本書に散りばめた万華鏡の欠片の小ネタを「解析」していこうと思います。
今回のテーマは「アンノウン・バイオレット」(p.235)。
後の山場なんて考えず、初回から大きい謎に挑んでいきましょう。
もしこの話を読んだことがないかたは、まずは一度まっさらな気持ちで本書を読むことをおすすめします。
わたしの文字からなにかを感じ取ってほしいのです。
そのあとでこちらを読んで答え合わせをして、スッキリいたしましょう。
といっても、今回はあまりスッキリとはいかないかもしれませんが……それではネタバレ注意!
「あの人」とは誰なのか
単刀直入に、皆さんにもぜひ考えていただきたいテーマはこれに尽きます。
本文中の「あの人」とはいったい誰なのか? ということです。
あなたはこれを読んで「あの人」とは誰のことだと思いましたか?
イマジナリーフレンド(空想上の友達あるいは恋人)?
おそらく「彼(男性)」は、わたしが幼いころから認識しており、大人になった今でもあの謎の歌とともに現れることがあります。
大人になった今でも、あの人の正体についてははっきりとはわかりません。
しかし年を重ねるにつれ、理解できた部分もあります。
「あの人」の特徴
「あの人」の存在を感じるとき、見えるもののキーワードを挙げておきます。
- 悲しくて幸福な紫色の歌
- コンクリートの廃墟
- ヘリオトロープの花
- ふわふわとした黒髪
- 丸眼鏡
歌が聴こえるとき、わたしは無意識化にあるようです。
ということはこれらは無意識的なキーワードなのかもしれません。
ユング心理学の元型(アーキタイプ)を用いて、解読を試みました。
ヘリオトロープの意味
ヘリオトロープは、紫色の小さな花がドーム状に集合した花形をしており、甘い香りが特徴的です。
(サムネイルに写真を入れこみましたので参考にどうぞ)
バニラに似た甘い香りで、ブランド香水の香りにも使用されますし、魔術では主に金運系のマジカルオイルの材料として使用されます。
ヘリオトロープ自体の元型(アーキタイプ)の意味についてはわかりませんが
ああいうのはだいたい神話からきているので、例に倣ってわたしもギリシャ神話を調べました。
「ヘリオトロープ」という名前はギリシャ神話のヘリオス神(太陽神)からきているようです。
神話あるあるの浮気(不義)沙汰があり、結ばれぬ運命となった水の妖精:クリュティエ―が、愛する太陽を向いて咲く花ヘリオトロープに姿を変えたのだそう。
一説によるとこの花はカレンデュラ(ハーブ品種のマリーゴールド)との説もあるそう。
ちなみに緑の魔女のハーブ学では、ヘリオトロープもカレンデュラも太陽のハーブとして知られています。
要するに太陽(陽性・意識・男性性)のほうを向いて、変わらぬ愛を捧げている(←つまりあの人は、陰性・無意識・女性性?)。
なんかそうなると、悲しくて幸福な歌も、意味が通じてくるような……
※この意味はこの記事を書いているときに調べたもので、本書の執筆ではノー知識で見えたものをそのまま書いています。
無意識のなかの自分
ちょっと今、自分の無意識を知る試みをするようで、恐ろしくなりながら記事を書いていますが(笑)
ヘリオトロープだけで真理の一端に触れた気持ちになっています。
わたしが今はっと考えたのは、「無意識のなかのもうひとりの自分」のことです。
わたしたちは「自分」というものを認識していながら「自分」を探し始めたり、見失ったりします。
自分はここに存在するのに、自信が持てなかったり、疑心暗鬼・自問自答・選択に迷ったりしますよね。
わたしは専門家ではないし、ここにもし名越先生(精神科医)がおられたらこれを分析してほしいくらいなのですが
わたしのなかにはもうひとりのわたしがいる? のかもしれません。
つまり無意識のなかのわたし、という存在です。
意識のわたしと、無意識のわたしが、表裏一体となって、物質的・霊的な「わたし」を作っているのかな?
紫色の歌
わたしはWOWAKAさんの歌が好きで、実際にお会いしたこともあります。
WOWAKAさんが突然亡くなられたときは本当にショックで、今でも思い出すと泣いてしまうくらいです。
そんなWOWAKAさんが作った曲は、あの「紫色の歌」に雰囲気が似ているような気がします。
どのへんが……と問われると表現しづらいのですが、本書中の言葉を借りれば「ひび割れた」「軋んだ」「ガラス細工の箱庭」な感じが、似ています。そういえば、WOWAKAさんもふわふわの黒髪で丸眼鏡ですね。
この記憶と、わたしの無意識がミックスされているのでしょうか。
憧れを投影でもしているのでしょうか。
本書のタイトルと同じ「アンノウン」を冠したこちらの曲「アンノウン・マザーグース」。
なにを報せたいの?
紫色の歌が聴こえたとき、とにかく悲しくて、悲しくて、「あの人に報せなくちゃ」いけない気持ちになります。
あなたは「孤独じゃない」ということを報せなくちゃいけないのです。
なぜなのかはまったくわかりません。
また、自分自身の無意識だとしたら、うーん、意識の自分は孤独だとは思っていない(むしろ孤独は楽しいもの)と思っているのですが、無意識では孤独なのでしょうか?
まとめ
自分自身ではここまでしかわからないのですが、まあ「あの人」が誰であるかなんて、わからないままでもいいのです。
彼は「アンノウン」。
誰も知らない。
そこで歌うだけなのです。
感じたままに、少しだけ、気付いてほしくて。
ほかにも様々な視点・考え方があると思います。
皆さんの感じたままが、正解。
たくさん考察してくださいね!