わたしは五感で感じるすべてを色や光として感じてしまう、共感覚者だ。
そのため、いちいち立ち止まってしまう。
ひとつひとつを感じてしまう。
そこで納得しないと前に進めない、今日は認知の話。
わたしはたぶん他の人より感覚が鋭く、敏感らしいのだが、自分ではそれが普通なのでそう思わなかった。
しかし一点だけ、思うところがある。
それは「言葉」について。
わたしは誰かの放つ言葉ひとつひとつ、
小説や詩の文字ひとつひとつに対して、
いちいち「これってどんな真意があるんだろう?」と考え込むところがある。
こう言うと誤解されやすいのだが、決して、放たれた言葉に対して傷ついているわけではない。
むしろどんなにひどい言葉でも、傷ついたり感動したりできないところがあるが、それはひとまず置いておく。
わたしが気になるのは、言葉ひとつひとつの真意について。
たとえば、小説や歌詞のなかで「消える」という動詞が使われたとする。
単純に「消える」と書かれれば、「なるほど、ぱっと消えたんだな」と考える。
つまりその「消え方」は、ぱっと消えることがあるのだから、ぱっと現れることまで意味するのだと考える。
一方で、「消失」はどうか。
消えた上に失うので、もう二度と入手できないのだと考える。
また一方で、「消え入る」はどうか。
わたしはこの言葉がこの上なく好きなのだが、消えたくせにどこかに入ろう残ろうとする、退廃的な美しさを感じる。
ただ消えるだけではなく、そこに残留してしまう形が見えない何かは消えないとか。
それは実際的には消えたけど、別の次元へ行った=消えたというような、ミステリアスさがある。
このように、言葉や文字自体から受ける印象について考えることが好きで、よもすれば、一般的認知とわたしの言葉の使い方にはズレが生じているのではと思うほどだ。
このような認知の歪みや、言葉を正確に捉え使いたいというこだわりは、発達障害のなかのASD(自閉症、アスペルガー症候群)によく見られる傾向なのだそう。
わたしは子供の頃からそうだったので、むしろ何も考えなくても言葉を操れる人が面白いと思う。が、
しかし、きっとその言葉には真意がないのだろうから、グルコースを使うだけ無駄なのかな?
それでも、言葉の隅々まで多彩な色が見えるわたしは、わたしでよかったと思う。
そして日本嫌いな私でも、微妙な文字色が複雑に絡む日本語圏に生まれてよかったな。
現代語から古文まで日本語の奥深さは、私視点、まるでアートだ。
わたしは美しく、濁りない言葉を使いたい。なぜなら
言葉はすぐに消え入り、あなたのなかに残るものだから。
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