文字は、常にわたしの上から降って来る。
わたしはそれを拾い上げて、文字に綴って、吐露する。
書き出すというより、吐き出すという表現のほうが正しい。
つまりわたしにとって、書くことは息をすることと同じ。吸ったら吐く、その繰り返しの作業だ。
文字の雨はいつも降っている。わたしの周囲はいつも雨。
通常は上から降って来るものをそのまま吐き出せばよい。
しかし時折、困ったことに、雨文字は文章を成しておらず、文法もあったもんじゃない。
そのためわたしは雨文字を整理する頭を働かせねばならない。
断片的な言葉をひとつひとつ拾っては抽斗に仕舞う、
あれは左に、これは右に、あちらこちらと分別せねばならぬ。
そうしないと断片的な雨文字はただのごみの山になってしまって、わたしを圧迫する。
圧迫されるとわたしは、表現しがたいなにかの感情に押し潰されてしまいそうになる。
だから、どうにも結末がないことを、時々吐き出す必要がある。
きっとこれはわたしだけではなく、多くの人が、脳味噌に溜まったごみを吐き出せばスッキリするのだと思う。
文章にならない言葉でも、こうして紙に書き出しているうちに、いつものように雨が降って来るようになる。
断片的な雨文字は、思考リセットのための作業なのかもしれない。
つまり書けないときは、(どうでもいいことを)ひたすら書く、をするとわたしの場合は通常時に戻る。
結局、書くこと以外なにもできないのである。息を止めることができないように。
新年もどうぞ宜しくお願いいたします(^▽^)