先日、山形県米沢市へ行った。
何年か前までは、興味を持ったら海外までパッと行ってサッと帰ってくる衝動的なわたしだった。
ハーブの勉強をするためにアメリカへ、魔女と占いについて学ぶためイギリスへ、呪術と霊について学ぶためインドネシアへ。
コロナで行動を制約されても「できることをやればいいや」と思っていたので、
どこにも行けないことは苦ではなかったけれど、久しぶりの長いドライブ。ウッキウキ。
米沢市は、わたしにとって縁が深い場所。
魔術を学んだとき「魔術は脳科学だったんだな!」と電気が走ったきっかけを与えてくれた、心理学と脳科学のセルフコーチでカフェ経営者の完戸修平さん(先生)、
魔女学と占い学の生徒であり、魔術とエステを融合したエステティーク三毛猫魔法店のオーナー魔女詩璃さんがいらっしゃる。
わたしが米沢へ行くとき、おふたりには必ず連絡する。
でもわたしのことだから、スケジュールは衝動的に決まるので、いつも急。
それでもおふたりとも、わたしが急に連絡しても時間を作って会ってくださるのだ。
誰かから連絡が来たときに、会うことができる心の豊かさや余裕を、わたしも持ちたいと思った。
きっと忙しかったり、痛かったりすればお断りするんだと思う。
だけどせっかくの一期に、わたしに会いたいと言ってくれる人がいたらわたしも会いたい。
「忙しい」と言って、「心を亡くした対応」をするのもなんだか嫌だし、
そもそも「忙しい」と思われ連絡をしていただけないのも、なんだかね?って。
詩璃さんは待ち合わせの場所に、いつも素敵なところを予約してくれる。
米沢って素敵なところが多いなあと思う。今回はツリーハウスのカフェ。
わたしも「忙しい」と思われるタイプの人間で、今までは実際そうだったかもしれない。
仕事が楽しかったし、頭の中は魔術研究でいっぱいだったので余裕はなかった。
けれど、若い頃に運よくスゴイお金持ちの人と知り合えて学ばせていただき、
フェラーリに乗せてもらったり、ハワイのコンドミニアムに連れて行ってもらったり、
月何十万もするスイートなマンションへ招待してくださった経験があって、
それを見て「お金があっても満たされない何か」があるんだなと感じた。
お金持ちの人は、キラキラしている人が多いが、色々考えているせいなのか様々な色が混じり合っていて、あまり綺麗とは言えない。
もっと純真な子供や、スナフキンのような自由人であるほうが、色がハッキリ鮮やかなので、意思があってわかりやすい。
お金があるほうが選択肢が増えていいけれど、決して豊かとか、余裕とか、幸せと結びつくものではないと、齢20で悟るわたし。
だから価値というのは、お金プライスで決まるのではなく、心なんだなと今思う。
わたしは今、「ほんとうに自分がやりたいこと」を探求してとことんやりたいと思っている。命は短しだからね。
その際に「面倒なことはやらない」と決めた。
例えば、面倒な人付き合い、面倒なスケジューリングや仕事など。
たぶんやりたいことの対局にあるから、必要がないなと思った。
だから逆に、付き合いたい人、だいじにしたいものが明確になった。
人にも物事にも、ありがたいと思えるようになった。
まるで季節の恵みに感謝するのと同じように。
また、だいじなのは話の内容ではなく、心だとも思った。
わたしは話が通じない現象が度々起こる。
家族に言わせれば、わたしの発想が斜め上を行き過ぎていて、何を話しているのかわからないのだそうだ。
でもそれはわたしもわからないので、まったくいつも誤解されてしまう。
わたしもその誤解をいちいち説くのが面倒だと思っている。
文章でも会話でもこれはよくあることなので、すぐに修正とか意味を質問しやすい会話ならそのとき理解に努めることはできる。
でもそのときに理解できないと、わたしは内容をすぐ忘れてしまうのでまったくわからなくなる。(寝ると忘れる)
かと言って、話の内容を理解しようと思っているかと言えば、そうでもない。
どうせ忘れてしまうので、おおかた聞き流していることのほうが多い。
それよりも、その一期一会を楽しむほうがいい気がしている。
そのときの色と光を感じて、その中でゆっくりと泳ぐように、包まれるように過ごすような。
例えばレコードのジャズが流れる喫茶店で本を読みふけるような感覚に似ている。
だから極論、言葉を交わすことを必要としない。(老子もそう言ってたな)
逆に言えば、すぐに見透かされる。
心に余裕がなかったり、よこしまなことを考えたりすれば、それは伝わっている。
エロスが堕ちればただの下品のように、すぐにわかる。
わたしとしては、わかりやすく、ハッキリとした色の中で
万華鏡の中で暮らしたいと思う。
修平さんはカフェで…
米沢市では今、上杉博物館で刀剣「五虎退」の展示をしていたので
虎柄の台湾カステラやラテアートが…期間限定メニューだったよ