ミヒャエル・エンデ著『モモ』という児童小説のなかに「時間貯蓄銀行」なるものが登場する。
今回は、時間を貯蓄することによって果たして幸せになれるのか?について。
『モモ』とは
この話をする上で引き合いに出しているのが、わたしが大好きな作家ミヒャエル・エンデの『モモ』。
全世界で有名な本なので、読んだ・知っている人も多い作品だろう。
とても素敵で、考えさせられる作品なので、まだ読んだことがない人は一度は読んでほしい内容だ。
テーマになっているのは、お金と時間と心の豊かさ。
これは物語の中だけの話ではなく、現代に生きるわたしたちにとって、とても考えさせられる教訓や戒めのような内容だ。
この物語の終末は「本当の豊かさや幸せとは何か」というところに着地する。
それを考える上で登場するのが、「時間貯蓄銀行の社員(灰色の紳士)」だ。
彼らはこう勧誘する。
「時間を節約するには無駄な時間を省くことです。
節約した時間を我々が運営する『時間貯蓄銀行』に預ければ、利子とともに後になって何倍にもなって返ってきますよ。」
すると街の人々はこぞって自分の時間を銀行に貯蓄するようになる。
つまり、今まで気楽に働いていた人が、毎日慌ただしく仕事をする。
余裕は全て銀行に預けるので、その日々をただ繰り返していく。
なぜなら時間を貯蓄すれば、あとでから何倍にもなって良いものが返ってくるということだから。
あれ?
どことなく現代人っぽいような…?
果たしてこの「時間貯蓄銀行」システムで幸せになれるだろうか?
仕事の在り方
慌ただしく仕事をすることが、一概に良いこと・悪いことと言えないと思っている。
わたしはどちらかと言えば「仕事は早く終わるにこしたことはない」と思うし、かと言って「仕事で手抜きはしたくない」とも思っている。
前者は慌ただしく仕事をやりたいし、後者は時間をかけて仕事をやる。
問題になるのは、ずっと慌ただしく仕事をしたり、ずっと仕事に時間がかかってしまうこと。
いわゆる『費用対効果』を考えなければいけないことだろう。
得たい結果を考えて、それが大きければ時間をかけてもいい。
でも効果が薄いのであれば、手早く済ませる。
そのバランスを頭の中で計算ができるかどうか。
最低賃金引き上げ問題
昨今の日本では、労働者の最低賃金を引き上げる動きがある。
「人権」という観点から見ればこれに反対する人はいないだろうが、それ以外の細かな点を見ていくとわたしは問題があると考えている。
それは、わたしが経営者目線で見ているからかもしれないが、『モモ』の話にも関連するのでここで少し記しておく。
『モモ』の世界の住民は、時間貯蓄銀行の社員(灰色の紳士)が来るまでは、おだやかで平和な日々を過ごしながら、気楽に仕事をしていた。
しかし時間貯蓄銀行の社員(灰色の紳士)の登場後は、慌ただしい生活を送る。
できる限り仕事をスピーディーに、次々とこなすスキルが問われるようになる。
これを現代社会の時給に例えると、同じ時給1000円でも内容がまったく違うものになる。
おそらく働く人からすれば前者のようなラクな仕事のほうがいいだろう。
しかし最低賃金引き上げを推し進めていくと、そのような仕事はなくなると断言する。
これを経営者目線で見ると、同じ時給1000円を支払うのだから、仕事ができる人を雇いたいと考える。
少しでも『費用対効果』が悪ければ、会社が赤字になりかねないので、雇うことはしない。
しかも日本は、アルバイトやパートならまだしも、正規雇用で一度雇ったら、解雇するのがとても大変で面倒なシステム。
わたしは経済学者じゃないので詳しいことは知らないが、でも、推理することはできる。
「最低賃金を引き上げて、各世帯が潤えば経済がまわる」というのもわかるが、それは全世帯という意味ではなくて、
時給1000円以下の、能力が低い仕事しかできない人は職を失うことになるし、能力が高い人は自分で稼ぐようになるため、貧富の格差はどんどん広がっていくだろう。
自分にできる仕事をする
では、どうすればいいのか。
『モモ』の物語で、モモははぐれ者の孤児だ。
野外劇場にひとりで住みつき、街の人々から「差し入れ」を得て生活している。
つまり物乞い・乞食の子供であるが、モモはちっとも寂しそうではない。
なぜならモモは、人の話を聴くことが得意だった。
そのため街の人々は事あるごとにモモの元へ行ってお喋りをして、お礼に差し入れを渡すのだった。
ここでわたしが言いたいのは、どんな人でも、仕事ができるということだ。
たとえば○○屋さん、○○士というような職種でははかれない、「え?こんなことが仕事になるの?」という仕事だ。
モモは人の話をただ聴くだけで、対価(食べ物など)を得ている。これは立派な仕事ではないか。
しかも現代の会社のように、同業と競争もしなければ、本音と建前の嘘をついたり、慌ただしく仕事をする必要も、モモの仕事にはないようだ。
ただ需要があり、モモはそれを満たしているだけ。
つまり社会貢献をするという、仕事としてごく当たり前のことが成立している。
わたしは小学生の頃に『モモ』を読んで、この仕事の在り方に衝撃を受けた。
「将来の夢は?進路は?」と聞かれるとつい「漫画家、服飾デザイナー、小説家」などと答えていたが、モモは肩書きの仕事ではない。
モモの仕事は、あえて言うなら「カウンセラー」が近いかもしれないが、それにしても、街の人々から絶大なる信頼を得ている「聴き役」というのは、肩書が陳腐な表現に見えるぐらい大きな才能ではないか。
わたしは当時、子供ながらに「そうか。仕事とは、自分の得意分野を最大限発揮して、誰かの助けになることを言うんだな」と理解した。
そうすることで、対価(お金)はあとからついてくる。
結論としては、時給が約束された働き方ではなく、自分の得意才能を発揮して誰かを満足させる働き方をすること。
これが今後の現代社会に必要となってくる。
能力が低いことは関係ない
繰り返しになるが、能力が低くても「自分の得意才能を発揮して誰かを満足させる」ことができれば仕事が成立する。
たとえば、かく言うわたし。
発達障害で高校中退・会社経験なし・計算は間違うし、コミュニケーションも少し大変で、約束を忘れてやらかす。
会社的には無能力と見られることはわかりきっている(そもそも学校中退の時点でわかっていた)。
しかしわたしは、文章を読むのも書くのも構成するのも大好きで、日本語以外の言語も大好きだった。
これは仕事になると思ったので、若かりし頃からこういったコンテンツ制作ばかりしている。
その他にも細々とした得意分野があるので、それはそれで、どうやったらお金を稼ぐことと結びつけられるかを模索中。
こうして、会社システムの中で能力が低い人でも、自分の得意分野と他が求める需要が噛み合えば、仕事ができるってこと。
時間の使い方
話を時間貯蓄銀行システムに戻す。
さて、『モモ』の世界の住民たちは時間を貯蓄しまくって慌ただしく過ごすわけだが、その時間の使い方はどうなのか。
住民たちは、「時間を貯蓄すればあとでから利子とともに何倍にもなって返ってくる」と言われているだけであり、返ってきた時間を何に使うのかまでは考えていないようだ。
しかしわたしは、「時間を何に使うのか」ということこそが最重要事項だと思うのだが?
お金もそうだ。
お金を貯金することが目的なのではなく、何にお金を使うのかということが最重要ではないか?
おそらくその真っただ中にいる時は、先のことまで考える余裕がなくて、まず今なんとかしないとと思っているのかな。
これは単純にわたしと考え方が違うというだけなのだが、わたしの場合は未来を先に考えて逆算して今に落とし込もうとする。
なぜなら未来やりたいことが決まっている(時間やお金を何に使うのか決まっている)のだから、それに沿って、今の自分を動かしたほうが無駄がなくていいじゃん。と考えているからだ。
主観・客観で見ると、わたしのやり方はかなり客観視していると思う。
冷静に未来とそこに至るまでの計画を立てている。(計画がうまくいかない場合は変更や軌道修正もする)
対して、未来は漠然としていてとりあえず今を生きる人は、主観視な気がする。
主観・客観が良い悪いということではなくて、時間の使い方をうまく考えるのであれば、冷静に計画を立て、現状考察をしたほうが良くないか?
わたしは大病もしていて、命が有限であることを身をもって知っている。
そのため死ぬまでにやりたいことがたくさんある。
究極には、死ぬというゴール(それはまた始まりでもあろうが)があるから、今なにをするかを計画できている。
ただただ惰性で時を過ごすなんて罪深きこととも感じてしまう。
今,この時を,生きる
しかし矛盾するが、わたしは「今この瞬間を感じて生きる」ことは素晴らしいことだと考える。
日本語では一期一会とよく言ったもので、同じように日々過ぎる一秒も、ひとつとして同じものはなく、それを感じて心を動かすことができるのも、人間に与えられた才能だと思う。
わたしは魔女の思想で生活をしているが、その中にも「季節(周期)を感じて過ごす」という内容が含まれている。
突き詰めると、一年のサイクル(春夏秋冬)、半年のサイクル(夏と冬・光と闇と言う)、一カ月のサイクル(満ちる月・欠ける月)、一週間のサイクル(労働と安息日)、一日のサイクル(朝・昼・夕)、それぞれの瞬間を感じること。
それが生きることだという教えだ。
この思想は自然信仰とも関連深いため、日本人の思想とはマッチするかも。
『モモ』の物語の中でも、掃除屋さんがこう言っている。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな」
これ、作業に集中しているときはわたしもこうなっている。
またこうした単純作業が集中できるし、いつの間にか仕事が終わってた!なんてこともある。
この一瞬、一瞬を感じる作業というのはマインドフルネス(内観瞑想)と同じしくみがある。
わかりやすいバイエンス来てもらう↓
要するに、瞬間瞬間を感じて生きることは充実感がある。
ただ、五感や脳味噌を使うので疲れるけど。
豊かで幸せな生き方とは
さて、結局のところわたしたちが豊かで幸せな生活を送るには、どうすべきか?
何も考えずに、時間貯蓄銀行システムを採用すべきか?
何も考えなければラクに生きられる。疲れない。それもひとつの生き方かもしれない。
しかしわたしは、せっかく脳味噌が発達した人間に生まれてしまったからには、繊細な五感とやらを使って世界を感じてみたいとも思う。
その五感は人それぞれ違うので、すなわち感じる世界は人の数だけそれぞれ違うわけで、
その個々の世界観を共有することも面白そうだ。
わたしはモモのようにその個々の世界観を聴きたいとも思う。
生き物はいずれ死ぬ。
その時には充実した一生が残ってほしい。
さらに願わくば、「こんな人間がいたんだなァ」という爪痕を残して死にたい。
だからわたしは今日もなにかを書いては、描いては、足掻いてみるのだった。
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